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エピソード アーカイブ

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Zep

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1970年代、世界的な人気を誇ったロックバンドである。日本においてもデビュー後すぐにスーパースターとなり、1971年の初来日公演は日本の音楽史上に残る伝説となった。

1960年代中頃、イギリスの若いミュージシャンの間では、本国アメリカでは忘れられていたブルーズがブームとなっていたが、それをさらにドラマティックにした彼らは後の世代にハードロックと言われる音楽を世界中に知らしめた。また彼らの楽曲にはアコースティックナンバーも多く、ブリティッシュ・トラッド、フォークから中近東音楽に渡る幅広い音楽性を持ち、1960年代のビートルズとはまた違った方法論でロックの限界を押し広げた。

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乱痴気騒ぎ

『レッド・ツェッペリン I』でデビューした彼らは音楽シーンに衝撃を与えると同時に広い人気を得たが、オフステージでの乱痴気騒ぎは酒池肉林を地で行く激しさで、プレスの眉をしかめさせた。また新人としては破格の、アルバム5枚で20万ドルというレコード会社との契約金は、ヒッピー文化の色濃い当時にそぐわぬ華々しさであり、その素行などは常にマスメディアからの攻撃の的であった。またテレビでの演奏を拒否し、プレスに対し辛辣な態度を取るツェッペリンにマスメディアの大勢は、熱狂する聴衆と市場に反してバンドの解散まで酷評し続けていた。

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3億枚を突破している

常にマスメディアと距離を置き、最初期を除きテレビでは殆ど演奏しなかったが、小さなクラブや大学のステージでの歌と演奏の凄まじさが口コミで伝わり、人気を獲得していった結果、アルバムセールスや観客動員数では大きな記録を残した。現代においてもツェッペリンのアルバムはアメリカだけでも年に100万枚以上を販売する実績を誇り、通算では1億枚を超える。こうした実績は、エルヴィス・プレスリーやビートルズ に匹敵するものである。なお、全世界でのアルバムセールスの累計は現在のところ3億枚を突破している

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デビュー当時

デビュー当時、アルバムは若者にとってまだまだ高価であったため、先ずはシングルを出し、それをラジオやテレビで流した上でレコードを買ってもらうのが普通であったが、彼らが本国イギリスで発売したシングルは解散前年である1979年の『ホット・ドッグ』一枚のみである。 また、海賊盤CDやブートレッグ・ビデオなど、非公式に販売されている音源の種類も世界最多と言われている。 1995年には「ロックの殿堂」入りを果たし、2004年には日本ゴールドディスク大賞を受賞。2005年にはグラミー賞(功労賞)を受賞。2006年にはUKミュージックの殿堂「UK Music Hall Of Fame」入りを果たしている。

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結成

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スタジオ・セッション・ギタリストを経てエリック・クラプトン、ジェフ・ベックに続く、ヤードバーズ最後のリードギタリストとなったジミー・ペイジ。

バンドの録音を体験するうちに、レコード制作に求められる心がけや信念やボーカリストの重要性に目覚めて、偶然というのも加わってオーソリティーともいえるそれぞれのパートのメンバーを集めて結成されました!
本当に偶然が重なって、そして個性的な仲間も集まってと・・・・。
運命的ですよね^^

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メンバー探し

ヤードバーズは1968年7月7日のコンサートを最後に、キース・レルフとジム・マッカーティが脱退・・。

クリス・ドレヤとペイジは同じミッキー・モスト・プロダクションにいたテリー・リードとプロコル・ハルムのB.J.ウイルソンをメンバーに誘いますが、テリーには自らのバンドのアメリカツアーが決まっていたため断られ、ウイルソンにはプロコル・ハルムが成功しているとして断られました。

メンバーを探すのにも一苦労です^^;

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結成までの長い道のり

そんなこんなあった後に・・・

すぐにテリーから「シンガーを見つけた」とペイジに連絡があります。

テリーはバクストンで共演したバンド・オブ・ジョイで歌っていたロバート・プラントを推薦しました。

ペイジも納得してロバートを引き抜き、今度はロバートがバンド・オブ・ジョイにいたことのある

ドラマー、ジョン・ボーナムを推薦します。


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ボーナムはプラントの紹介でアメリカのシンガー、ティム・ローズの UKツアーに参加しており、

そのステージを見たペイジは、彼をバンドに加えることを即決!

ですがボーナムは当時バンドへの加入を頑なに拒んでいたため、プラントとグラントの2人で

電報を打ちまくって説得!半ば強引にツェッペリンに加入させたといわれています。

しかし、ドレヤがメンバー探しの途中にカメラマンになりたがり脱退・・・。

そこで前からペイジと知り合いだった、ベーシスト兼キーボーディストのジョン・ポール・ジョーンズ

を誘います。

そして ヤードバーズとしての契約が残っていたスカンジナビア・ツアーを

New Yardbirdsと名を改めて決行!

この時すでにレッド・ツェッペリンのデビューアルバムの曲が演奏されています。

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New Yardbirds featuring Led Zeppelin

1968年10月15日、サリー大学でのイギリス初のコンサートではNew Yardbirds featuring Led Zeppelinと名乗っています。

ヤードバーズはアメリカのマディソン・スクエア・ガーデンでコンサートをしたほどのビッグ・ネームでしたが、古いポップグループのイメージが残る名前と決別したかったため、改名したといわれています。

ヤードバーズの音楽性を継承しつつも、ブルースベースのハードロックをより推し進めた彼らの1stアルバムにおける音楽性について、同じミッキー・モスト・プロダクションにいた(第一期)ジェフ・ベック・グループがヒントであったといわれることがあります。

ジェフ・ベックはツェッペリンのステージを見て「あれは俺のパクリだ」と言ったらしい・・・。

しかし、ツェッペリン結成時の状況をみると、音楽性が似通っていることは偶然であった可能性もありますよね。

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バンド名は誰の口癖から?

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1966年5月16日、ジェフ・ベックのソロ・シングルの録音のため、ジェフとジミー、ジョン、ニッキー、キースの5人によるセッションが行われました。

このセッションはとても充実したものだったそうです。

そのために5人中4人は、このままバンドとしての活動をすることを希望しましたが、ジョーンズが乗り気でなかったことと、いいシンガーが見つからなかったことを理由にその計画はなくなったそうです。

その時にムーンが「もしも俺たちが今いるバンドを辞めたら、きっと向こうは鉛の風船みたいに急降下だろうぜ、いや、鉛の飛行船(lead zeppelin)かな?」と発言したことによって、このバンド名が誕生したそうです。

この「going like lead Zeppelin」というセリフは、ムーンの口癖だったそうですよ。