<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
   <title>真っ赤な飛行船</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://oihartzuna.net/" />
   <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://oihartzuna.net/atom.xml" />
   <id>tag:oihartzuna.net,2010://4</id>
   <updated>2010-08-20T14:45:40Z</updated>
   <subtitle>レッド・ツェッペリンについて</subtitle>
   <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type 3.36</generator>

<entry>
   <title>ロックンロールとは?　その10</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://oihartzuna.net/2010/08/10.html" />
   <id>tag:oihartzuna.net,2010://4.93</id>
   
   <published>2010-08-20T06:52:47Z</published>
   <updated>2010-08-20T14:45:40Z</updated>
   
   <summary>あくまでもレコードというメディアを通して完成品が作られるロックンロールの場合、そ...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://oihartzuna.net/">
      あくまでもレコードというメディアを通して完成品が作られるロックンロールの場合、それを他の歌手が真似して歌うことはほとんど無意味、無価値でした。

エルヴィス・プレスリーの「ジェイルハウス・ロック(監獄ロック)」はエルヴィスが歌っていなければ意味がなかったし、それもレコードに記録されたドライヴ感あふれるサウンドにこそ最高の価値があったんです。

だから、前述したような、架空のダンス・ホールからの実況的な古いDJスタイルが姿を消し、アラン・フリードに代表される、レコードをレコードとしてかけながらスピード感に満ちたトークを聞かせるラジオ番組が人気を獲得。

そして、すべてレコードでその週の人気曲を発表する『アメリカン・トップ40』のようなヒット・パレード番組が登場。

さらに、テレビでもレコードをかけながらティーンエイジャーたちが踊りまくる様子をオンエアする『アメリカン・バンドスタンド』のような番組が大当たりしました。


      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>ロックンロールとは?　その9</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://oihartzuna.net/2010/08/9.html" />
   <id>tag:oihartzuna.net,2010://4.92</id>
   
   <published>2010-08-10T06:50:04Z</published>
   <updated>2010-08-10T16:35:02Z</updated>
   
   <summary>かつてのポピュラー音楽は、まず楽譜として世の中に足を踏み出し、主にブロードウェイ...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://oihartzuna.net/">
      かつてのポピュラー音楽は、まず楽譜として世の中に足を踏み出し、主にブロードウェイの舞台や、ナイトクラブでの生演奏によって一般の人々のもとへと広まっていきました。

もちろんすでにレコードはあったし、レコードをかけるラジオの音楽番組も人気を博してはいたけれど、そうした番組にしてもあくまで生演奏の現場を再現するような作りになっていることが多かったんです。

往年のDJたちは番組自体を架空のダンス・ホールから放送しているように描写し、曲をかけました。

あるいは、これはテレビ番組だが、『ザ・ヒット・パレード』という人気プログラムでは、毎週毎週、その時点での人気曲を番組のレギュラー歌手たちがフル・バンドをバックに生で歌っていました。

けれども、これらの番組はロックンロールの隆盛とともに姿を消します。


      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>ロックンロールとは?　その8</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://oihartzuna.net/2010/07/8.html" />
   <id>tag:oihartzuna.net,2010://4.91</id>
   
   <published>2010-07-20T06:48:32Z</published>
   <updated>2010-07-20T16:35:02Z</updated>
   
   <summary>1954年以降、RCAを筆頭とするメジャー・レコード会社がラジオ局のDJに渡すテ...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://oihartzuna.net/">
      1954年以降、RCAを筆頭とするメジャー・レコード会社がラジオ局のDJに渡すテスト盤がすべて45回転ドーナツ盤となり、それをキッカケに、まるで80年代、CDがアナログ盤を一気に過去の遺物にしてしまったのと同じような勢いで78回転SPは忘れられた存在になっていきました。

自分で買えるようになれば、もはや子供たちの天下。

1950年代半ばといえば、戦後のベビー・ブームの中で生まれた子供たちがティーンエイジャーに成長したころ。

使えるお金もふんだんになっています。

ティーンエイジャーがレコード市場の最高のお得意様の位置につき、レコード会社も大人向けのポップ・
ミュージックやジャズ以上の情熱を持ってロックンロールのレコードを生産するようになっていきました。

45回転ドーナツ盤、そして前述したラジオ。

主にこのふたつのメディアと呼応しながらロックンロールという音楽は育っていったんです。

つまり、根っからの間接情報文化。

ロックンロールはメディアを通してはじめて成立するポップこミュージックとして誕生し、成長してきたわけですね。


      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>ロックンロールとは?　その7</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://oihartzuna.net/2010/07/7.html" />
   <id>tag:oihartzuna.net,2010://4.90</id>
   
   <published>2010-07-10T06:46:43Z</published>
   <updated>2010-07-10T16:04:52Z</updated>
   
   <summary>LPやEPは、実際のところもっと早い時期に誕生していました。 コロムビア・レコー...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://oihartzuna.net/">
      LPやEPは、実際のところもっと早い時期に誕生していました。

コロムビア・レコードを通じて33回転LPが発売になったのは1948年、RCAビクターから45回転EPが発売されたのは翌49年。

当初この両方式は、最近の例で言えばビデオのべータとVHSのようなものだったらしく、お互いの回転数の違いが消費者をとまどわせたうえ、それまでの78回転SPのコレクションが価値を失うのではないかという疑念がマーケットを覆っていたため、なかなか普及しませんでした。

が、やがてコロムビア、RCA両社がそれぞれの方式に興味を示すようになり、さらに33回転、45回転、両方のレコードをかけられるプレーヤーも登場。

SPに代わる夢のニュー・メディアにがぜん注目が集まり始めます。

この新方式のレコード盤は、割れにくく、軽く、扱いやすかった。

それとともに、特に45回転ドーナツ盤にはもうひとつ、大きな利点がありました。

それは、大量生産がしやすかったこと。

大量生産できるから安くなる。安くなれば子供も買える。大量頒布が可能になる・・。

レコードが大人の嗜好品から子供の楽しみへと裾野を広げ、それとともにロックンロールという新種の音楽に子供たちが群がるようになったんですね。


      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>ロックンロールとは?　その6</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://oihartzuna.net/2010/06/6.html" />
   <id>tag:oihartzuna.net,2010://4.89</id>
   
   <published>2010-06-20T06:44:57Z</published>
   <updated>2010-06-20T16:35:02Z</updated>
   
   <summary>とはいうものの、実際にレコードが一般化して楽しまれるようになったのはロックンロー...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://oihartzuna.net/">
      とはいうものの、実際にレコードが一般化して楽しまれるようになったのはロックンロール誕生以前のこと。

それはSPと呼ばれる、78回転の、割れやすくて重い盤でしたが・・。

SPによってクラシックも、ジャズも、ロックンロール以前のポピュラー音楽も、ようやくそのサウンド全体がひとつの作品として認められる形で流通するようになりました。

この曲はこの歌手のこの時代のヴァージョンがいちばんいい・・・とか。

そんな価値基準は、瞬間瞬間の音をまるごと記録できるレコードというメディアの誕生によってようやく可能になったわけですね。

でも、もうひとつのポイント。

そんな夢のような音楽メディアであるSP盤が、基本的には非常に高価な、大人の娯楽品だったということ。

再生装置も含めて、ひどく高価でした。

当然、子供には手の出せる商品ではなかったんです。

それが、ちょうどロックンロールの誕生と時を同じくして、45回転EPレコード、つまりいわゆるドーナツ盤という新メディアが一般化しはじめます。


      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>ロックンロールとは?　その5</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://oihartzuna.net/2010/06/5.html" />
   <id>tag:oihartzuna.net,2010://4.88</id>
   
   <published>2010-06-10T06:43:26Z</published>
   <updated>2010-06-10T10:47:43Z</updated>
   
   <summary>なかなか核心をついた指摘ですよね。 特に、現象的な意味で大きなポイントとなってい...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://oihartzuna.net/">
      なかなか核心をついた指摘ですよね。

特に、現象的な意味で大きなポイントとなっているのが、(1)と(2)という楽器の編成的な問題と、(5)の流通形態の問題。

気楽に、誰もがあまり練習を積むことなく音が出せる楽器をメインとする、小人数で十分にまかなえるバンド編成が確立したことで、アマチュア的な、ゲリラ的なミュージシャンが次々と誕生する下地ができあがりました。

これがロックンロールの発展に大きく貢献したことは言うまでもないですよね。

そして流通。

かつてレコードというメディアが】般化するまではヒット・ソングは楽譜として世の中に出まわりました。

それしか手段がなかったわけですが、つまり歌詞とメロディそのものが流通していたんです。

レコードが一般化して、それまでの時代ともっとも変わった点は、流通する情報が歌詞やメロディのみではなく、それをとりまくサウンド全体になったこと。

この違いは大きいですね。


      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>ロックンロールとは?　その4 </title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://oihartzuna.net/2010/05/4.html" />
   <id>tag:oihartzuna.net,2010://4.87</id>
   
   <published>2010-05-20T06:41:56Z</published>
   <updated>2010-05-20T16:35:06Z</updated>
   
   <summary>(1)ブルースやカントリーの基本的な楽器のひとつであるギターが、ピアノに代わって...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://oihartzuna.net/">
      (1)ブルースやカントリーの基本的な楽器のひとつであるギターが、ピアノに代わってヴォーカルの伴奏楽器として大きな役割を果たすようになった点。

エレクトリック・ギターが多用されるようになったこともポイント。

(2)電気によってアンプリファイズされた小編成のコンボが、木管楽器、金管楽器、ストリングスを含む大オーケストラの代わりに活躍するようになった点。

(3)どんなレコードを作るかという決定権が、大レコード会社やA&amp;R会社の重役たち、およびプロードウェイやハリウッドの音楽出版社の手を離れ、独立プロデューサーの手に移った点。

(4)32小節でーコーラス(AABA)といった既存のポピュラー音楽のパターンが崩れ、曲の長さを変えたり、気ままなフィルを入れたり、テンポを変えたり、半端な小節数のパターンが現われた点。

(5)印刷された楽譜による音楽の流通が鳴りをひそめ、代わりに録音されたレコード盤によって音楽が広まるようになった点。

(6)若者による若者のための音楽文化でありながら、若者以外にも広く受け入れられた点。

(7)ヨーロッパではなく、アメリカの黒人文化に起源を持つ音楽である点。


      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>ロックンロールとは?　その3</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://oihartzuna.net/2010/05/3_1.html" />
   <id>tag:oihartzuna.net,2010://4.86</id>
   
   <published>2010-05-10T06:38:30Z</published>
   <updated>2010-05-10T16:35:03Z</updated>
   
   <summary>とにかく、どうやら始まりは1954年ごろらしい、ということだけはわかりました。 ...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://oihartzuna.net/">
      とにかく、どうやら始まりは1954年ごろらしい、ということだけはわかりました。

そして翌1955年には革命的な名曲、ビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が登場。

リリースされた当初は特に多くのリスナーの耳を引くこともなかったが、映画『暴力教室』のテーマ曲と
して使用されたことをキッカケに、この曲はティーンエイジャーのやり場のないフラストレーションの爆発を象徴する作品へと祭り上げられます。

そして1956年、エルヴィス・プレスリーが衝撃の全米デビュー。

ここに至ってロックンロール誕生のエネルギーは、ピークを迎えることになります。

その辺の事情はあとで詳しくたどるとして、ちょっと音楽的な側面からロックンロールという音楽の特徴をながめてみましょう。

「ロックンロールは黒人のジャンプ・ブルースから派生した音楽であり、1920年代から脈々と受け継がれてきたポップスの歴史の中でもっとも大きな支持を集めている」

と記したのはアーノルド・ショー。

彼が編纂した『DICTIONARY OF AMERICAN POP / ROCK』という本から、ロックンロールの革命的な点を箇条書きにしていきます。

続く


      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>ロックンロールとは?　その2</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://oihartzuna.net/2010/04/2.html" />
   <id>tag:oihartzuna.net,2010://4.85</id>
   
   <published>2010-04-20T06:36:06Z</published>
   <updated>2010-04-20T16:35:02Z</updated>
   
   <summary>当時、アメリカで50キロワット以上の大出力を持つラジオ局は黒人のレコードをかける...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://oihartzuna.net/">
      当時、アメリカで50キロワット以上の大出力を持つラジオ局は黒人のレコードをかけることを拒否していましたが、白人のクルー・カッツのカヴァー盤ならOKだったというわけですね。

1954年の夏中、クルー・カッツの「シュ・ブーム」はポップ・チャートで大当たり。

また、カントリー・シンガーのボビウィリアムソンが歌ったヴァージョンはカントリー・チャートにも顔を出しています。

つまり「シュ・ブーム」は、ポップ・チャート史上はじめてブラック・チャートからカントリー・チャートまでを席捲し、黒人音楽と白人音楽とが奇妙な結合/競合を見せた最初のヒットになったということ。

そういう意味で&quot;この曲こそ最初のロックンロール&quot;と主張する人たちが多いわけです。

と、様々な説はあるものの、どの曲までがロックンロールじゃなくて、どの曲からロックンロールだと明確に線引きできる基準なり境界なりがあるわけじゃないですね。

先述した通り、もともとロックンロールという名称自体、アラン・フリードが暫定的に用いたものであり、かつ、その言葉が指し示していたのは既存のR&amp;B的な音楽のことであり・・・。

むずかしいです。


      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>ロックンロールとは?</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://oihartzuna.net/2010/04/post_11.html" />
   <id>tag:oihartzuna.net,2010://4.84</id>
   
   <published>2010-04-10T06:33:32Z</published>
   <updated>2010-04-10T16:35:03Z</updated>
   
   <summary>初めてのロックンロールは、どの曲なのか？ これはむずかしい問題です。 1954年...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://oihartzuna.net/">
      初めてのロックンロールは、どの曲なのか？

これはむずかしい問題です。

1954年、黒人ヴォーカル・グループ、ザ・クロウズが歌った「ジー」こそ最初のロックンロールとする説もあります。

このシングルは全米ポップ・チャートにランクインし、そこそこ目立った成績(全米14位)を収めた、当時としては珍しいR&amp;Bレコードでした。

一方、同じく1954年、黒人ヴォーカル・グループ、ザ・コーズが歌った「シュ・ブーム(ライフ・クッド・ピー・ア・ドリーム)」を最初のロックンロールと解釈する説も有力。

こちらもR&amp;Bレコードとしては珍しくやはり全米ポップ・チャートにランクインしたが、人気上昇ぶりはジー」
をはるかに上回っていました。

登場後3週間でトップ10圏内に突入。最高位は5位でした。

さらに、ビリー・ウィリアムズ、サイ・オリヴァーなど多くの白人アーティストがカヴァー・ヴァージョンを録音
したことも大きなポイント。

特に、白人コーラス・グループのザ・クルー・カッツによるカヴァー・ヴァージョンは、本家であるザ・コーズ盤を追い抜き、見事ポップ・チャートの1位に輝いています。


      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>Led Zeppelin II</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://oihartzuna.net/2010/03/led_zeppelin_ii.html" />
   <id>tag:oihartzuna.net,2010://4.83</id>
   
   <published>2010-03-29T04:40:31Z</published>
   <updated>2010-05-07T09:37:41Z</updated>
   
   <summary>「Led Zeppelin II」は1969年に発売された2枚目のアルバムです。...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="アルバム" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://oihartzuna.net/">
      <![CDATA[「Led Zeppelin II」は1969年に発売された2枚目のアルバムです。

プロデューサーはジミー・ペイジ。レコーディング・エンジニアはエディ・クレーマー。

<img alt="Lad-al-02.jpg" src="http://oihartzuna.net/images/Lad-al-02.jpg" width="240" height="240" />

とても過酷な環境の中で慌ただしく録音されたというアルバム。

しかしこの環境はむしろメンバーに高揚感を与え、収録全曲が鋭角的で攻撃的な仕上がりになっています＾＾

このアルバムの力で「レッド・ツェッペリン」＝「大音響のヘヴィ・ロック」という図式が浸透したと言われています。

「 Whole lotta love」は短縮版がシングルカットされて大ヒットし、ビルボードのチャートで4位になりました。

これで、「ツェッペリンといえばWhole lotta love」というイメージが出来上がりました。


<strong>曲目リスト</strong>

1. Whole lotta love
2. What is and what should never be
3. Lemon song
4. Thank you
5. Heartbreaker
6. Livin' lovin' maid (she's just a woman)
7. Ramble on
8. Moby dick
9. Bring it on home 

]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>デビュー後の快進撃</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://oihartzuna.net/2010/02/post_10.html" />
   <id>tag:oihartzuna.net,2010://4.78</id>
   
   <published>2010-02-14T05:33:21Z</published>
   <updated>2010-05-07T09:37:41Z</updated>
   
   <summary>1968年に録音したアルバムのテープは、ペイジとマネージャーのピーター・グラント...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="アルバム" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://oihartzuna.net/">
      <![CDATA[1968年に録音したアルバムのテープは、ペイジとマネージャーのピーター・グラントとの共同出資によるものでした。

そのテープを持って渡米したグラントは、当時としては破格の20万ドル（当時の日本円にして約7200万円！）でアトランティック・レコードと契約します。

グラントがマネージメントしていたジェフ・ベックがヴァニラ・ファッジとのアメリカツアーに参加できなくなった代わりにレッド・ツェッペリンを送り込み、12月26日から参加させました。

このツアーでツェッペリンは爆発的な評判を呼びます。

そして1969年、アメリカで発売予定のデビューアルバムに5万枚の予約が入って全米10位、イギリスでは3月に発売され、全英6位となっています。

<img alt="1stAl.jpg" src="http://oihartzuna.net/images/1stAl.jpg" width="200" />

いきなりの大人気だったわけですね。

]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>バンド名は誰の口癖から？</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://oihartzuna.net/2010/01/post_9.html" />
   <id>tag:oihartzuna.net,2010://4.73</id>
   
   <published>2010-01-16T04:11:28Z</published>
   <updated>2010-05-07T09:37:41Z</updated>
   
   <summary> 1966年5月16日、ジェフ・ベックのソロ・シングルの録音のため、ジェフとジミ...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="エピソード" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://oihartzuna.net/">
      <![CDATA[<img alt="hikousen.jpg" src="http://oihartzuna.net/images/hikousen.jpg" width="200" />

1966年5月16日、ジェフ・ベックのソロ・シングルの録音のため、ジェフとジミー、ジョン、ニッキー、キースの5人によるセッションが行われました。

このセッションはとても充実したものだったそうです。

そのために5人中4人は、このままバンドとしての活動をすることを希望しましたが、ジョーンズが乗り気でなかったことと、いいシンガーが見つからなかったことを理由にその計画はなくなったそうです。

その時にムーンが「もしも俺たちが今いるバンドを辞めたら、きっと向こうは鉛の風船みたいに急降下だろうぜ、いや、鉛の飛行船（lead zeppelin）かな？」と発言したことによって、このバンド名が誕生したそうです。

この「going like lead Zeppelin」というセリフは、ムーンの口癖だったそうですよ。

]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>New Yardbirds featuring Led Zeppelin</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://oihartzuna.net/2009/12/new_yardbirds_featuring_led_ze.html" />
   <id>tag:oihartzuna.net,2009://4.68</id>
   
   <published>2009-12-26T03:16:46Z</published>
   <updated>2010-03-01T07:58:28Z</updated>
   
   <summary>1968年10月15日、サリー大学でのイギリス初のコンサートではNew Yard...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="エピソード" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://oihartzuna.net/">
      1968年10月15日、サリー大学でのイギリス初のコンサートではNew Yardbirds featuring Led Zeppelinと名乗っています。

ヤードバーズはアメリカのマディソン・スクエア・ガーデンでコンサートをしたほどのビッグ・ネームでしたが、古いポップグループのイメージが残る名前と決別したかったため、改名したといわれています。

ヤードバーズの音楽性を継承しつつも、ブルースベースのハードロックをより推し進めた彼らの1stアルバムにおける音楽性について、同じミッキー・モスト・プロダクションにいた（第一期）ジェフ・ベック・グループがヒントであったといわれることがあります。

ジェフ・ベックはツェッペリンのステージを見て「あれは俺のパクリだ」と言ったらしい・・・。

しかし、ツェッペリン結成時の状況をみると、音楽性が似通っていることは偶然であった可能性もありますよね。


      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>結成までの長い道のり</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://oihartzuna.net/2009/11/post_8.html" />
   <id>tag:oihartzuna.net,2009://4.64</id>
   
   <published>2009-11-04T08:11:03Z</published>
   <updated>2010-05-07T09:37:41Z</updated>
   
   <summary>そんなこんなあった後に・・・ すぐにテリーから「シンガーを見つけた」とペイジに連...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="エピソード" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://oihartzuna.net/">
      <![CDATA[そんなこんなあった後に・・・

すぐにテリーから「シンガーを見つけた」とペイジに連絡があります。

テリーはバクストンで共演したバンド・オブ・ジョイで歌っていたロバート・プラントを推薦しました。

ペイジも納得してロバートを引き抜き、今度はロバートがバンド・オブ・ジョイにいたことのある

ドラマー、ジョン・ボーナムを推薦します。


<img alt="redtueppe.jpg" src="http://oihartzuna.net/images/redtueppe.jpg" width="300"/>



ボーナムはプラントの紹介でアメリカのシンガー、ティム・ローズの UKツアーに参加しており、

そのステージを見たペイジは、彼をバンドに加えることを即決！

ですがボーナムは当時バンドへの加入を頑なに拒んでいたため、プラントとグラントの2人で

電報を打ちまくって説得！半ば強引にツェッペリンに加入させたといわれています。

しかし、ドレヤがメンバー探しの途中にカメラマンになりたがり脱退・・・。

そこで前からペイジと知り合いだった、ベーシスト兼キーボーディストのジョン・ポール・ジョーンズ

を誘います。

そして ヤードバーズとしての契約が残っていたスカンジナビア・ツアーを

New Yardbirdsと名を改めて決行！

この時すでにレッド・ツェッペリンのデビューアルバムの曲が演奏されています。





]]>
      
   </content>
</entry>

</feed>
